考古学研究により、苗栗地区はかつて先史時代に人が生活し、多くの遺跡が残されていることが分かっています。先史時代の人々の多くは河岸段丘に居住し、農業を主として営みつつ、時々漁業をしていました。千年以上前に台湾の原住民がこの地に移り住み、苗栗は平埔族の居住地となりました。旧名を「猫狸(マオリ)」という苗栗は、平埔族語の「平原」という言葉の音訳なのです。
17世紀の半ばから、漢人が次第に移り住んで開墾を始め、原住民はしかたなく同化し、或いは山岳地帯へ移りました。数百年の発展を経て、苗栗は客家、閩南、タイヤル族、サイシャット族などを主に、多くの民族が集まる場所となりました。17世紀以前、苗栗地区は人気がなく、めったに外地から移住してくる者もいませんでした。
鄭成功が台湾にやってきてオランダ人を撃退した後、苗栗は天興県に帰属し、移住開墾の計画が始まりました。明永暦24年、劉國軒が一族を連れて蓬山、後攏地区を開墾し、漢人による苗栗の開拓の発端となりました。鄭克塽が清に降伏した後、清の朝廷は天興県を諸羅県と改め、清の光緒13年、苗栗が県に改められました。
19世紀末、南荘、獅潭、大湖、卓蘭より西の地区は、すでに良質の田畑が約数千ヘクタール開墾されていました。先人たちは、開墾の苦しい生活の中でも教育と文化の継承を重視し、現地に学校や義塾、社学や民学が林立し、北台湾の文化レベルを引き上げ、人材を輩出する地区としたのです。
西暦1895年、日本が台湾を統治し、苗栗県は廃止されました。1901年から1908年の間、苗栗庁が別に置かれ、台湾の回復前までに行政部門と名称は何度も変更されました。1950年に地方自治が施行されてから、苗栗県の行政地区がやっと確定され、今日に至っています。 |